2021.4.4 手前味噌

ご無沙汰してます。
本日は社会人になって初めての休日(日曜日)ということで、人生初の味噌作りに挑戦しました。
調理行程自体は単純なのですが、結構な重労働でした💦
フードプロセッサーが欲しくなりますね。。。

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材料(大豆、米麹、塩)
  1. 大豆を半日、水につけておく
 前日のうちに大豆を水につけておきます。大豆って、最初は綺麗な球体なのに、水を吸うと枝豆みたいになるのがとても不思議です。

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大豆を水につけておく
 
  1. 大豆を3時間ほど煮る
 大豆が指で簡単につぶれるくらいになるまで水で煮ます。IHコンロだったのでかなり時間かかりました。。。
 圧力鍋が欲しくなります。。。
 
  1. 大豆をつぶす
 大豆を跡形もなくなるまでつぶしましょう。私は手で一生懸命つぶしましたが、頗る疲れました。全行程の中で最も達成感があります。
 
  1. つぶした大豆と米麴と塩を素手で混ぜる
 大豆:米麹:塩=0.6:1:0.4で混ぜます。この時、しっかり「素手」で混ぜるのがポイントです。手の常在菌を味噌の中に混ぜ込みましょう。
 
  1. 味噌玉を作る
 4の混合物を手でこねて団子にしましょう。小さいころに作った泥団子を思い出しながら、しっかりと空気を抜いていきます。味噌作りで大切なのは、空気を抜いてカビさせないことです。

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味噌玉
  1. 団子を容器に敷き詰める
 これも空気を抜きながら、しっかりと敷き詰めていきます。最後に表面にラップをして、空気に触れないようにしていきます。端に溝を作って塩を振っておくと、端からカビにくくなるそうな。

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容器に敷き詰める
  1. 重石をして日陰に放置
 重石はビニールに入れた塩で代用しました。日に当たらないように気を付けて、夏を越すまでしっかりと熟成させます。

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重石をして日陰に保管
 
出来上がりが非常に楽しみです。発酵食品に完全にハマってしまいました。
塩は体温を高め、麹菌は腸内細菌を元気にしてくれます。
このご時世、他人のことに気を遣ったり、他人に頼ったりばかりするのではなく、自分のことは自分でしっかりと考えられる人になりたいものです。どんなに時代が変わろうとも、自分の身体を捨てることの無いよう、しっかりと健康には気を遣って生きていきましょう!

「新・日本列島から日本人が消える日」を読んで

ご無沙汰しております。
 
定期更新など不可能だと察して、私自身の気の向くまま、徐(おもむろ)に筆を取り、想いをしたためようと決意した次第であります。
どうかご容赦ください。
 
前回の投稿、少々意味深な内容となってしまったことをお詫びします。
あれは読者の皆さんに向けたものというより、私の思考の足跡を記録しておく意味合いの方が大きいものです。プライベートな領域に留めなかったのは、ある真実に"気付いた"、もしくはそのきっかけを得た人たちの求心力となるかもしれない、と思ったからです。決して非科学的なことではなく、インターネットという巨大プラットフォームに巧妙に張り巡らされた、ある意味"有能"に機能しうるアルゴリズム(プログラム)がそうさせるためです。それに、人間の(特に日本人の)好奇心は止まるところを知らない、無限の可能性を帯びています。まさに、ニコラ・テスラのいう「フリーエネルギー」そのものです。アルゴリズムの力以上に、その好奇心による求心力に期待しているのです。たとえ言論弾圧を喰らっても、私は発信をやめることは決してしません。
 
「学びは、その人をあるべき方向に導く。」
 
そう信じて止みません。
 
 
 
  1. 末期状態の日本
 
 前置きはこのくらいにして、この2週間は私にとって革新的な発見の連続でした。
ハイヤー・セルフ」に近づいたと錯覚するほど、「破・常識的」な事実(真実に近い情報)に触れることが多かったです。その事実をそのまま鵜呑みにするつもりはありませんが、世界を見る新たなviewpoint(観点)を得たことが大きな収穫です。
そのひとつが、「教育」に関する事実です。
 
ご存知の方もいるかもしれませんが、戦争をせずに国を侵略する方法を記した「スイス民間防衛白書で、『教育の掌握と、それによる国家意識の破壊、および思考力の欠落によって、国民は活力を失い、行く行くは大量の移民を受け入れるほかなくなる(事実上の侵略)』という内容が記されており、日本はまさにその最終段階にいるそうです。
確かに、思い当たる節はかなりあります。政府が頑なに「緊縮財政」を推し進めていたり、コロナに乗じてトンデモな政策を施行しようとしていたり、日本国民間や国家間の分断・軋轢を助長するよう仕向けたり、、、挙げればキリがありません。
 
日本が末期状態となった理由の根幹に、「教育によるコントロールがあったという事実に、私は驚愕し、今までにない怒りをおぼえました。思えば、なぜ我々国民は、これほどまでに自国に対する誇りや尊厳がないのか。支配されているはずである「旧敵国」アメリカに過剰に憧れを抱くようになったのか。アメリカの属国となっている現状に何の感情も生まれないのか。
 
点と点がつながった感覚がしたのと同時に、これから私たちが直面する課題が浮き彫りとなってきたように思いました。
 
  1. 新時代を切り開くには
私は今後、特に制約のない場合に限り、職業は「学者」を名乗るようにする、と心に決めています。理由は話せば長くなりますが、端的に申せば、「理想とする未来を実現させる仕事」を自分の職業としたいからです。婉曲的に、私が本来名乗るべき職業はその定義から外れる、ということになりますが、詳細はあえて伏せます。
詰まるところ、完全に毒された日本国を救う手段は「教育」しかない、と今は思っています。ところが、現状、日本には「教え育て」られるレベルの教育者はほとんどいないと言って良いでしょう(0とは決して言いません)。ピラミッドの頂点に君臨する人たち(厳密には人間ではないようですが)の言いなりとなり、純粋な子ども達をピラミッド社会に適合させるよう洗脳している、さながら悪徳宗教の教祖様のような振る舞いをしているだけです。そして、その教え子がまた教師となり洗脳を進めていく、といった悪循環が生じています。
 
集団行動の徹底、時間の厳守、上下関係の構築、点数で優劣をつける「脱個性的」教育の常識化。
 
皆さんも一度は疑問を持ったかもしれません。しかし、疑問を持つだけ無駄だと大人たちから諭され、純粋な自分を押し殺して生きてきた人も多いはずです。西洋化以前の日本国民が見たら発狂してしまうほどの落ちぶれぶりでしょう。全ては、戦勝国アメリカによる洗脳だった(もちろんアメリカだけではありませんが)、というわけです。
 
しかし、日本人はまだ立ち上がれると信じています。
現に、日本の精神は途絶えることなく、西洋化の波に抗っています。日本でコロナが流行らなかったこと、日本だけキャッシュレス化があまりにも進まないこと、外国企業を圧倒するほどの経済成長力(今は外国企業が搾取しようと必死ですが )を見せたこと。日本の精神は、外国のそれと比べてパワーがまるで違うように感じます。私は身命を賭して、日本国に宿る誇り高き精神を復活させたいと考えています。自分自身、何が正解かがはっきりと分かりません。それを私の得意とする「学び」から得、若者たちを「教え育て」ていきたいと思っています。
 
今回、私が読了した「新・日本列島から日本人が消える日」には、そのヒントとなるような事実(全てを鵜呑みにしてはいけませんが。)がたくさん散りばめられています。ぜひ、本書を手に取って一読して頂きたいと思います。また、これと似た内容を、Youtubeチャンネル「ミナミ・A・アシュタール 超次元ライブ」や、「伊比裕一郎 公式チャンネル」でも配信されていますので、最初はかなり胡散臭く感じるかもしれませんが、ぜひ一度ご視聴ください。信じる信じないは別にして、今までの縛られたものの捉え方を脱して、新たな観点を得る良い機会となると思います。

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ミナミAアシュタール 著.「新・日本列島から日本人が消える日」(破・常識屋出版)
 
将来は誰にも予測できませんが、現状に満足できないのなら「学ぶ」以外に選択はないかと思います。「学び」を放棄すると、現代において人間は必ず失墜します。私の周りには、どうも勉強を面倒だと感じる人が多いように思いますが、その考え自体を放棄して、どうか「学び」に没頭してみてほしいです。
 
「学びは、その人をあるべき方向に導く。」
 
どうかこの言葉を信じて、共により良い未来を探索していきましょう!
 
今回はこれにて失礼いたします。またお会いしましょう。
 

369(みろく)のフシギ

コラ・テスラの「369(みろく)の法則」について考える。

 

(keys of thought)

1, 2, 4, 5, 7, 8 ... 人間

3, 6 ... 宇宙への鍵、スターシード

9 ... 宇宙 = 全 = 無

 

人間は細胞分裂によってできる→2乗

遺伝子=DNAの塩基配列→4乗

 

2乗...2,4,8,7,5,1の繰り返し("人間"の全てが揃う)

4乗...4,7,1の繰り返し(半分だけ)

 

人間を完全体から遠ざける存在...?

 

因みに7乗...7,4,1の繰り返し(これも半分だけ)

5乗は2乗と同じく全て揃う。

 

7を押し付けられた過去、、、

 

、、、は存在した。六曜の廃止→7 days in a weekの導入。これも明治維新の出来事。

 

日本人は意図的に369(ミロク)から遠ざけられている...?

 

全ては妄想の話。

 

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γ(ガンマ)計算について考える

こんにちは!
 
更新が不定期にならないよう自戒しておきながら、早速掟を破っていく始末。ご容赦ください。。
 
近頃、初期研修医のバイブルともいえる良書、「内科レジデントの鉄則」を読んで勉強しているのですが、突然現れた謎の概念「γ(ガンマ)」計算に非常に苦戦してしまいました。かつてはゴリゴリの理系だっただけに、理解できないことへのショックが大きかったのですが、何とか自分なりに腑に落ちる解釈を会得しましたので、ここに記録したいと思います。

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内科レジデントの鉄則(出版:医学書院)
  1. γ(ガンマ)とは?
 
γ(ガンマ)の定義は、「体重1kgあたり1分間でどのくらい薬剤を投与するのかという単位」のことだそうです。正確に記述すると、
 
γ=μg/kg/min
 
となります。
 
新たな概念・知識を習得する際に大事なのは、抽象化、即ち「イメージ」へと昇華させることだと思いますので、ここで一度、γのイメージをお伝えします。(私独自の脳内イメージで恐縮ですが、、)
 
 
皆さん、1ドルが360円だった時代をご存知でしょうか。この時代の通貨制度を「固定相場制」といい、現在の為替レートに従って通貨の価値が変動する「変動相場制」へと切り替わった1973年まで続いていた制度です。私も詳しくは存じないのですが、どうやら世界が「金(きん)」を貨幣として用いていた時代背景の延長で、最も金の産出量の多かったアメリカの通貨(=ドル)を、金の引き換え券として扱うこととし、各国の通貨がドル(金とほぼ同義)基準に切り替わったという経緯があるそうです。世界的に金=ドルの価値は平等ですから、各国の通貨の価値を規定する際に、「我が国の通貨は、ドルの◯倍の価値がありますよ!」といって、その通貨の信用を担保していたわけです。
 
まとめると、この時代の通貨は「ドル」基準で価値が規定されており、外国通貨に両替する際は、一度「ドル」に替えてから、目的の通貨にする、というような手順でした。(実際の手続きはもっと簡略化されていたかもしれませんが。)
 
あくまでイメージですが、γ(ガンマ)は、固定相場制の「ドル」に似ている気がします。即ち、どんな状況でもとりあえずは通用する(信頼できる)単位、という解釈です。具体的には、同じ病態のAさんとBさんに対し、日本で「Aさんに、いちガンマ入れて!」と言った場合と、アメリカで「Bさんに、ワンガンマ、プリーズ!」と言った場合で、結果として投与される"べき"薬剤量は同じということです。
 
なぜ、「投与される量」ではなく、「投与される"べき"」と記述したかは、次章でお話しします。
 
 
 
  1. γ(ガンマ)の正しい解釈
 
 
γ(ガンマ)の定義に立ち返りましょう。
γ(ガンマ)とは、
 
γ=μg/kg/min
 
のことでした。
 
この単位の特徴として、①薬剤の量が「グラム」表記であることと、②投与される人の「体重 1kgあたり」の薬剤量であること、の2つが挙げられます。
 
第一章の最後で、「投与される"べき"」と表記した理由は、「結果として同じ薬効をもたらす」という意味を含ませたかったためです。
 
 
具体例を出しましょう。以下の2つのケースを考えます。
 
ケース①:体重50kgのAさんが、血糖値200mg/dLの高血糖で来院し、インスリンを投与した。
 
ケース②:体重100kgのBさんが、血糖値200mg/dLの高血糖で来院し、インスリンを投与した。
 
さて、この2つのケースで、投与したインスリン製剤の投与量は同じでしょうか。
 
 
答えはノーです。
なぜなら、AさんとBさんの体重が全然違います。そして、もうひとつは、投与したインスリン製剤の「濃度」が、2つのケースで異なるかもしれません。濃いものだと少量で良いですが、薄い製剤だとそこそこ入れないといけませんよね。
 
ですので、(以下、数値は適当ですが)、ケース①では40単位/mLを0.5mL注射し、ケース②では80単位/mLを0.7mL注射した、というふうに、同じ病態(検査値)でも、全く異なる薬剤投与がなされうるのです。
 
しかし、γ(ガンマ)という単位を用いると違います。ケース①で1γなら、ケース②でも1γということになります。即ち、γ(ガンマ)を使えば、症例ごとの「体格差」や薬物製剤の「濃度」を考慮せずに、投与すべき量を表記できてしまうのです。
 
(追記)
※注)この例で扱ったインスリンは「持続投与」の典型的な薬剤ではないため、γ表記されることはない(or 少ない?)ようです。(持続投与の典型例は、循環作動薬、鎮静薬、筋弛緩薬など。)
今回は、「同じ病態」というポイントをイメージするために、あえて血糖値を提示し、インスリン製剤を例に出しました。ご了承ください。
 
 
これは例えると、
1つのリンゴがあって、それを日本では「360円」と表記し、アルゼンチンでは「280ペソ」と表記されていて、同価値かどうか分からないので、ドルに変換した結果、どちらも「1ドル」だったので、同価値であることを証明できた、みたいな感じです。
先述の通り、γ(ガンマ)はまるで、固定相場制時代の「ドル」のような立ち位置と似ています。
 
ここまでくると、γ(ガンマ)の習得までもう一踏ん張りです。次章では、臨床現場でのγ(ガンマ)の取り扱いについて述べます。
 
 
  1. γ(ガンマ)の取り扱いについて
 
 
さて、γ(ガンマ)のイメージがついてきたところで、γ(ガンマ)を臨床現場でも使うために必要な思考手順を整理していきましょう。
 
「γ(ガンマ)は良くわかった。けれど、実際に薬剤をどれだけ点滴に混ぜたらいいか分からないよー。」
 
となることを防ぐために、単位の「換算」を行います。決して難しくない手順なので、良く理解しておきましょう(突然エラそうにすみません...)
 
それではいきます。
まず、γ(ガンマ)の定義を記します。
 
 
γ=μg/kg/min
 
 
γ=1γのことですから、(ex: 2γ=2×1γ, 3kg=3×1kg)
 
 
1γ=1μg/kg/min
 
 
続いて、臨床でよく用いる薬剤の単位「mL/h」を思い出します。「γ」を「mL/h」にしたいので、その気持ちを強く抱きながら、単位換算していくと、
 
 
1γ=1 μg/kg/min
 
=0.001 mg/kg/min
 
=0.001×60 mg/kg/h
 
=0.001×60×その人の体重 mg/h
 
 
ここまできました。最後に、その薬剤の濃度を考慮します濃度をα mg/mLとすると、
 
 
上式=0.001×60×その人の体重÷α mL/h
 
 
ついに来ました「mL/h」!
まとめましょう。
 
 
1γ=0.06×その人の体重÷α(濃度) mL/h
 
 
よって、1γ(=単位γ)は、「その人の体重に0.06をかけ、薬剤の濃度で割った値(単位はmL/h)」と同じになることが分かりました!
 
では最後に、具体例で考えていきましょう。
 
 
例) 敗血症疑いの患者に、ノルアドレナリン0.05γを投与するよう指示があった。投与する薬剤量[mL/h]を求めよ。(患者の体重は60kg。)
 
答)0.05γ=0.05×1γ=0.05×0.06×その人の体重÷α mL/h=0.05×0.06×60÷α mL/h=0.18÷α mL/h
 
 
答えを求めようとしたら、答えにα(濃度)という変数が入ってしまいましたね。これでは、選ぶべき薬剤が定まりません。濃度は適当で良いのでしょうか...
 
しかし、実際の臨床現場では、0.05γならα=0.05 mg/mL、3γならα=3mg/mLで開始することが多いそうです。理由は定かではありませんが、この法則により、γ計算がとても楽になります。なぜなら、γの係数(今回の例ですと0.05)が、分母のαによって見事に約分され、0.05γ=0.06×60 mL/hとなるためです。
 
 
これで、ようやく結論に辿り着けました。要約すると、
 
「A γ投与とは、濃度A mg/mLの薬剤を0.06×その人の体重 mL/hで投与開始すること。」
 
となります。
 
いやー、長かったですね。さすがに打ち疲れました、、、
 
新しい概念には、何度も触れることで慣れていくほかありません。分からなくなったらまたこれを読み返して、確実に自分のものにしていきたいものです。
 
訂正があれば、その都度更新します。
 
長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました!
 
 
 

「AI vs 教科書が読めない子どもたち」を読んで

こんにちは。


暇な日常を送っていますが、更新は相変わらす不定期です。


前回、インブリーディングについて書きます、と言って締めくくったと記憶しています。


しかしながら、インブリーディングについて書く気力を失ってしまったので(正確にはそれ以上に書きたい内容ができたので)、今回は別の話題に触れたいと思います。


つい先ほど、新井紀子 著、「AI vs 教科書が読めない子どもたち」を読了したので、感想を述べるとともに、私自身の未来への展望を書こうと思います。

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新井紀子 著 「AI vs 教科書が読めない子どもたち」 (「東洋経済」出版)

 


1. シンギュラリティは到来しない


この本で衝撃的だったのが、「シンギュラリティは来ない」という事実でした。
私はこれまで、シンギュラリティは避けられない未来だとばかり思っていましたが、どうもそうではないようです。
その理由は非常に簡単で、「シンギュラリティが今のAIの延長線上に存在しないから」だそうです。そういえば、大学の実習で放射線科を回った際に受けたAIに関する講義で、人工知能レベル4と5は同一線上にはないので、レベル5が誕生する未来は来ないかもしれない。」と先生が仰っていたのを思い出しました。当時は「ふーん」としか思っていませんでしたが、本書を読んでやっと腹落ちしました。


どうして、こんなに単純なことすら知らずに、シンギュラリティが現実化する未来を今まで信じていたのでしょう。


本書によれば、メディアによる情報操作のせいだそうです。もはやお馴染み(笑)になった、メディアによる大衆心理操作ですが、それを行なっているのがまさに「教科書が読めない子ども」だった大人たちなのだそう。タイトル回収が上手すぎませんか笑

 


2. AI人間に溢れた現代
 
本書の後半は、全国の中高生を対象に「基礎的読解力」を調査するための試験、通称RST(リーディングスキルテスト)を施行し、その正答率がAIと比較してどうだ、という内容を主軸に、著者の仮説と未来への展望を展開するという構成になっています。


本書の意味深なタイトル宜しく、現代の中高生はAIレベルであるという結論が、確かなデータをもって我々に突きつけられ、非常に考えさせられる内容となっていました。


特に印象的だったのが、(思わず声が出てしまったのですが)、教科書の読めない子どもの中に、「学」から始まる熟語を全て「学校」と読んでしまう子がいて、「なぜ何もかも『学校』と読んでしまうの?」とその子に問うと、「そのほうがよく当たるから。」と答えた、という話です。


このエピソードには、思い当たる節があり過ぎました。私には6個下の妹がいるのですが、その妹はあまり勉強ができるタイプではなく、理解力もどちらかというと悪い方です。そんな妹に勉強を教えていると、高頻度でこの「そのほうがよく当たるから」理論を展開されることが多いのです。
「考えることを放棄するな。」と叱咤しつつ、1から丁寧に教えようとしたのですが、一度放棄した思考はなかなか取り戻しにくく、教えるのにも非常に苦労を要しました。これぞまさに、AI人間製造機としての日本教の弊害でしょう。「脱個性教育」を推進していた戦後の日本の教育は、もはやオワコンを通り越して、「公害」と呼ぶに相応しい程に落ちぶれてしまったのでしょう。

 


3. 新たな時代の幕開け


「受け身の学び」に慣れてしまうことは、人間にとって何よりも毒になり得ると私は思っています。決して「昭和の教育が悪かった」ということを啓蒙したいのではなく、常に現状に疑問をもつ癖を付けさせるべきだと思うのです。


物事には必ず二面性があって、そのどちらを「善」とするかは自分自身です。その一方だけを他人から押し付けられていることに疑問をもつべきだと思います。


今後の日本を良くしていくためには、国民一人ひとりが、自分を主軸として思考できる存在になるべきでしょう。民主政治の皮を被った我が国の"利権政治" "衆愚政治"を打開するためには、我々一人ひとりが「変数」的な存在とならなければなりません。「変数」とならなければ、主導者が思うがままに政治を動かし、国民はこれに振り回されることになります。主導者の思い描く「解」を否定できるのは、主権者である我々 "変数としての" 国民だけです。


私の読者の皆さんも、是非、日本の将来のためになる学びや仕事を見つけて、自己を貫いて欲しいと願っています。かくいう私はというと、まだその入り口に立っただけに過ぎない、愚かな1人の人間ですが、少しでも理想の自分に近づけるようになりたいと日々思っています。

 


少し自己主張が強くなり過ぎました。申し訳ありません。。
本当は次回の記事に、「進撃の巨人を最新話まで一気見した感想」と一緒に書こうと思っていたのですが、熱が入り過ぎました。。


次回はちょっと軽めの内容を書こうと思ってます。


それでは、また。

思考の整理 ー 見つめる鍋は煮えない ー

こんにちは!

 

本日は、市街のカフェからお送りしております。

外山滋比古 先生の思考の整理学を完読して、少し自分の脳内の整理をしたい気持ちになり、今回筆を取った次第です。今後の自分の方向性を定めるべく、一度思考を言語化し、記録して、"放置"しておこうと思います。(外山先生曰く、この"放置"が重要なんですよね)

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外山滋比古 著「思考の整理学」


 

 

1. 見つめる鍋は煮えない

 

「思考の整理学」で最も核となるメッセージは、やはり何といっても『見つめる鍋は煮えない』でしょう!(個人的な感想ですが笑)

私自身、本格的に学問と向き合い始めてからというもの、この考え方にはかなり共感することが多いです。例えば、

「1日中勉強をするよりも、2日に分けて負荷を軽減させたほうが知識の定着を実感しやすい

とか、

「長い間思い悩み、堂々巡りを繰り返していたような懸案事項も、ある時、ふとしたことで解決策が思い付く」

なんてことは往々にしてあります。

 

皆さんも、そのような経験はないでしょうか?

きっと1度や2度はあると思います。これこそが、「知識の意図的な忘却による恩恵」なのです。敢えて自身の考えを無意識領域に放り投げ、時間に解決を委ねるという考えです。私は、この考え方を知れて、幾分か救われたような思いがしました。

 

「救われた」とは少々大袈裟ですが、私が今日まで抱いていた「意識と時間と忘却」の関係性が大きく覆された瞬間でした。

即ち、「忘却」を食い止めるには「意識」を「長時間」集中させ続けることが必要であるという以前までの考えは、単なる思いこみ(刷り込み、プロバガンダ?笑)に過ぎず、

そもそも「忘却」自体、「学び」とは切っても切り離せない、むしろ重要な過程だ

というパラダイムシフトが私自身に起こったのです。

 

このことが正しいとするならば、優秀な人間は1つの分野だけでなく、多分野に跨って学問を修めているという事実に合点がいきます。

ある分野のスペシャリストになるまでに1万時間かかるとするなら、複数の資格を持ったスペシャリストなど到底存在する訳もなく、しかも、習得が同時進行でなければ、以前に身に付けた知識やスキルも忘却により錆び付いてしまうでしょうから、「忘却」を絶対的な悪と決めつけてしまってはなかなか説明が付きません。

外山先生の主張が正しい(若しくは否定できない)と思われる根拠は、以上の点からして十分でしょう。

 

 

2. 忘却を味方に

 

一見、逆説的ではありますが、意図的に知識を忘却へと導くことが学習の過程では重要です。それを無意識に行っているのが『睡眠』です。

寝る前に考え事をしていて、寝て起きてみたら何故か解決した、という経験が皆さんあるのではないでしょうか。「忘却」を知識の定着に利用するよう、遺伝子レベルで組み込まれているのです(睡眠の研究は未開拓な部分が多く、いつか私の研究テーマにしてみたい領域です。)。

睡眠と同じことを、普段の学びに組み込めば、効率よく多くの知識を身に付けられるはずです。つまり、『忘却を味方に』つける訓練をすることです。

 

「では皆さん、知識の定着の為に、みんなで一緒に忘れましょう!」

 

...とはなかなかいきません笑

そもそも、忘れることは、覚えることよりも意識的に行うことが難しいです。そもそも、忘れようと「意識」している時点で、知識を無意識の領域に飛ばすことはできません。

では、どうすべきか。それは、「意識を逸らすこと」だと、本書では述べられています。

つまりは、色んな分野・領域に意識を「浮気させろ」という訳です。

(恋愛における浮気は御法度ですが、学習における浮気は大歓迎!、ということですね先生!)

 

国試直前期も、英語、政治、経済の勉強と、かなり浮気していた私ですが、これからは罪悪感を抱くことなく、堂々と浮気できます。ありがとうございます、外山先生!

 

 3. 近況報告

そろそろ2000字も近くなってきたので、今、興味のある分野を紹介します。

1番はやはり、「経済学」でしょうか。Youtubeで「三橋貴明 先生」や「藤井聡 先生」の動画やラジオをきいて、少しずつ勉強しています。最近は、MMT(現代貨幣理論)に非常に興味があり、勉強しているのですが、この前友人に「MMTの解説するわ!」と啖呵を切ってしまいました(今になって後悔しています)。それと、経済学に付随して「簿記」の勉強も再開しました。どうしても経済の話になるとB/SやP/Lの話題が出てきてしまうので、必要に迫られて勉強しています(続く気はあまりしませんが...)。ひと段落したら、「奇跡の経済教室(中野剛志 著)」も読み始めようかな(遠い目)。

 

最近、地政学の魅力にも気付き始めました。政治を語るには地政学を学ぶ必要があるらしいです。そして、きっかけは忘れたのですが、地政学の前に「サピエンス全史」に触れておいた方が良さそうだと気付き、今日からサピエンス全史を読んでいこうと思っています。(どうもめっちゃむずいらしいので、既に読んだ方がいらっしゃったら教えてください!)。

 

他にも、英語の学び直しとか、陰謀論(DSとか笑)を調べたりなどしていますが、あまり話題として面白くないので割愛。。

兎にも角にも、意識の浮気先を沢山作ったので、今後めきめきと知識が増えることでしょう!(希望的観測)

 

次回は、「思考の整理学」で述べられている、学問における「インブリーディング」について私の意見を書こうと思います。(覚えていれば笑)

 

それではまた👋

 

115回 医師国家試験を終えて

ご無沙汰しております。
 
2021年2月6日と7日に115回 医師国家試験が実施され、受験してきました。
 
今年はコロナ禍により、国試の開催にあたり大きな変更がありました。1つは、コロナ感染者は今年度の受験資格を失う、という明らかに都市部の医学生に不利な条件を突きつけられたこと、もう1つは、受験会場の変更により四国脱出を余儀なくされたこと、等がありました。まあ、これもお役人様が決めたことですから、我々末端の人間は従わざるを得ませんでしたが、もう少し賢いやり方はなかったものかとも思います(決して厚労省に歯向かっているわけではありませんよ笑)。
 
さて、115回 医師国家試験の振り返りと、今年度の自分の反省をしていこうと思います。しばしお付き合いください。
 
① 115回 医師国家試験の振り返り
 
例年通りの問題数と時間設定で施行され、特段変更は無かったようです。出題傾向や問題のレベルに関して、「例年と比べてどうだ」ということは、私の勉強の仕方が特殊だったこともあり(※勉強法に関しては後述)あまり分からないのですが、他の受験生たちの声から察するに、今年は少し難化したようです。
 
因みに私の結果ですが、必修90%(偏差値45.4)、一般臨床84.3%(偏差値56.7でした。(※medic media 講師速報より)
直前の模試の成績がそれほど良くなかった為、少し心配していましたが、本番はしっかりと得点できていました。体感では手応えのある問題が半分くらいしかなかったので、落ちたかもなーと思っていましたが、今回は運が良かったようです。これも皆さんの応援のお陰です。
 
直前模試の結果を掲載しておきます。良ければ参考にしてください。(6年夏模試は1年くらい国試勉強放置しててほぼ無勉で受けたのでノーカンで。)
 
  1. medic media模試(2020年12月1日, 2日実施)
必修87.5%(偏差値48.4) 一般臨床75%(偏差値49.6)

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2020年度 medic media模試 成績表
 
  1. 冬MEC模試(2021年1月6日、7日実施)
必修78.5%(偏差値41.6) 一般臨床75.7%(偏差値50.4)

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2020年度 冬MEC模試 成績表
 
② 今年度の振り返り
 
良かった点
  1. 自分の勉強法を確立できたこと。
  2. 興味のある分野を増やせたこと。
  3. 他人の意見や評価を鵜呑みにしなくなったこと。
 
反省点
  1. 体験的な学びが少なかったこと。
 
まず良かった点から。
「1.自分の勉強法を確立できたこと」に関しては、USMLE模試の結果が大きいと思ってます。あの人生最大の挫折をきっかけとして、これまでの勉強法の何が間違っていたのか、そして、優秀な人のマインドセットや勉強法について「今一度学び直さなくては」と思えたことが、大きなターニングポイントになったと思います。様々な人の意見を参考にしながら実践した結果、自分なりのある結論に辿り着きました。それは、『情報量が多いときこそ、一つずつ丁寧に理解し記憶していくべき』ということと、『記憶は脳に汗をかいた分だけ定着する』ということです。
それに気付けたのは、『Anki』という暗記用学習アプリに出会えたからです。このアプリは、多くのUSMLE受験者が愛用している、もはや必須とも言うべき学習ツールですが、この効果が私にとって絶大でした。私は何度も問題集を周回することで暗記していくタイプだっただけに、1つのことをしつこく何度も覚え直すこのアプリのシステムに対して、導入時はかなり懐疑的でした。しかし、騙されたと思ってしばらく使ってみると、程なくしてその効果が顕著に現れ始めました。「新たな知識は、既存の知識の上に積み上げていくことで習得できる」ということを体験的に学べたように思います。
樺沢紫苑先生の名著「アウトプット大全」でも書かれているように、「インプット3割、アウトプット7割の法則」は勉強において大変重要であり、つまるところ学力は「どれだけ知識を入れたか」ではなく、「どれだけ知識を活用したか」によってほぼほぼ規定されるようです。『Anki』を活用することは、強制的にインプット時間を短縮し、アウトプット時間を増やすことに繋がります。しかも、忘れかけたタイミングで復習を強要されるので、脳にとってはかなりの負担を強いられます。これが「脳に汗をかかせる」ということであり、記憶の定着には最も効率良く機能します。
また、AnkiのUXはさることながら、UIも抜群に優秀です。シンプルなデザインに、タブレットとの相性の良さ、またPCでも同様に違和感なく扱える互換性の高さが私的にポイント高いです。クラウド管理されているので、万が一デバイスが故障した場合でも学習を中断することなく利用できます。さらに、オンライン問題集やデジタル資料との相性も良いです。コピー&ペーストで簡単に問題が作れますし、Goodnotes等のノートアプリでスクショ画像を編集して穴埋め問題風にアレンジすることも可能です。

 

国試に関して言えば、私はクエバンの1周目問題しか解いていませんが、問題の解説や関連資料からAnkiの問題を複数作成していたので、周辺知識はその1問を解いただけでほぼ網羅できます。なかなか前に進まなくて効率が悪いように見えますが、情報量が多い時こそ1つ1つ着実に暗記していくことが大切です。クエバンの問題演習はあくまでもインプットに過ぎません。そこから得られるAnkiカードこそがこの勉強法の肝になります。言い忘れましたが、予備校のレジュメや参考書を使っている人はPDF化(OCR処理も)してデジタル管理しておくことをお勧めします。これだけでAnkiカードを作る効率が格段に上がります。

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Anki (講義資料を元に解答を作成)

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Anki (QB onlineの解説から穴埋め問題を作成)

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