2021.4.4 手前味噌
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大豆を半日、水につけておく
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大豆を3時間ほど煮る
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大豆をつぶす
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つぶした大豆と米麴と塩を素手で混ぜる
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味噌玉を作る
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団子を容器に敷き詰める
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重石をして日陰に放置
「新・日本列島から日本人が消える日」を読んで
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末期状態の日本
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新時代を切り開くには
369(みろく)のフシギ
ニコラ・テスラの「369(みろく)の法則」について考える。
(keys of thought)
1, 2, 4, 5, 7, 8 ... 人間
3, 6 ... 宇宙への鍵、スターシード
9 ... 宇宙 = 全 = 無
人間は細胞分裂によってできる→2乗
遺伝子=DNAの塩基配列→4乗
2乗...2,4,8,7,5,1の繰り返し("人間"の全てが揃う)
4乗...4,7,1の繰り返し(半分だけ)
人間を完全体から遠ざける存在...?
因みに7乗...7,4,1の繰り返し(これも半分だけ)
5乗は2乗と同じく全て揃う。
7を押し付けられた過去、、、
、、、は存在した。六曜の廃止→7 days in a weekの導入。これも明治維新の出来事。
日本人は意図的に369(ミロク)から遠ざけられている...?
全ては妄想の話。
γ(ガンマ)計算について考える
- γ(ガンマ)とは?
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γ(ガンマ)の正しい解釈
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γ(ガンマ)の取り扱いについて
「AI vs 教科書が読めない子どもたち」を読んで
こんにちは。
暇な日常を送っていますが、更新は相変わらす不定期です。
前回、インブリーディングについて書きます、と言って締めくくったと記憶しています。
しかしながら、インブリーディングについて書く気力を失ってしまったので(正確にはそれ以上に書きたい内容ができたので)、今回は別の話題に触れたいと思います。
つい先ほど、新井紀子 著、「AI vs 教科書が読めない子どもたち」を読了したので、感想を述べるとともに、私自身の未来への展望を書こうと思います。
1. シンギュラリティは到来しない
この本で衝撃的だったのが、「シンギュラリティは来ない」という事実でした。
私はこれまで、シンギュラリティは避けられない未来だとばかり思っていましたが、どうもそうではないようです。
その理由は非常に簡単で、「シンギュラリティが今のAIの延長線上に存在しないから」だそうです。そういえば、大学の実習で放射線科を回った際に受けたAIに関する講義で、「人工知能レベル4と5は同一線上にはないので、レベル5が誕生する未来は来ないかもしれない。」と先生が仰っていたのを思い出しました。当時は「ふーん」としか思っていませんでしたが、本書を読んでやっと腹落ちしました。
どうして、こんなに単純なことすら知らずに、シンギュラリティが現実化する未来を今まで信じていたのでしょう。
本書によれば、メディアによる情報操作のせいだそうです。もはやお馴染み(笑)になった、メディアによる大衆心理操作ですが、それを行なっているのがまさに「教科書が読めない子ども」だった大人たちなのだそう。タイトル回収が上手すぎませんか笑
2. AI人間に溢れた現代
本書の後半は、全国の中高生を対象に「基礎的読解力」を調査するための試験、通称RST(リーディングスキルテスト)を施行し、その正答率がAIと比較してどうだ、という内容を主軸に、著者の仮説と未来への展望を展開するという構成になっています。
本書の意味深なタイトル宜しく、現代の中高生はAIレベルであるという結論が、確かなデータをもって我々に突きつけられ、非常に考えさせられる内容となっていました。
特に印象的だったのが、(思わず声が出てしまったのですが)、教科書の読めない子どもの中に、「学」から始まる熟語を全て「学校」と読んでしまう子がいて、「なぜ何もかも『学校』と読んでしまうの?」とその子に問うと、「そのほうがよく当たるから。」と答えた、という話です。
このエピソードには、思い当たる節があり過ぎました。私には6個下の妹がいるのですが、その妹はあまり勉強ができるタイプではなく、理解力もどちらかというと悪い方です。そんな妹に勉強を教えていると、高頻度でこの「そのほうがよく当たるから」理論を展開されることが多いのです。
「考えることを放棄するな。」と叱咤しつつ、1から丁寧に教えようとしたのですが、一度放棄した思考はなかなか取り戻しにくく、教えるのにも非常に苦労を要しました。これぞまさに、AI人間製造機としての日本教育の弊害でしょう。「脱個性教育」を推進していた戦後の日本の教育は、もはやオワコンを通り越して、「公害」と呼ぶに相応しい程に落ちぶれてしまったのでしょう。
3. 新たな時代の幕開け
「受け身の学び」に慣れてしまうことは、人間にとって何よりも毒になり得ると私は思っています。決して「昭和の教育が悪かった」ということを啓蒙したいのではなく、常に現状に疑問をもつ癖を付けさせるべきだと思うのです。
物事には必ず二面性があって、そのどちらを「善」とするかは自分自身です。その一方だけを他人から押し付けられていることに疑問をもつべきだと思います。
今後の日本を良くしていくためには、国民一人ひとりが、自分を主軸として思考できる存在になるべきでしょう。民主政治の皮を被った我が国の"利権政治" "衆愚政治"を打開するためには、我々一人ひとりが「変数」的な存在とならなければなりません。「変数」とならなければ、主導者が思うがままに政治を動かし、国民はこれに振り回されることになります。主導者の思い描く「解」を否定できるのは、主権者である我々 "変数としての" 国民だけです。
私の読者の皆さんも、是非、日本の将来のためになる学びや仕事を見つけて、自己を貫いて欲しいと願っています。かくいう私はというと、まだその入り口に立っただけに過ぎない、愚かな1人の人間ですが、少しでも理想の自分に近づけるようになりたいと日々思っています。
少し自己主張が強くなり過ぎました。申し訳ありません。。
本当は次回の記事に、「進撃の巨人を最新話まで一気見した感想」と一緒に書こうと思っていたのですが、熱が入り過ぎました。。
次回はちょっと軽めの内容を書こうと思ってます。
それでは、また。
思考の整理 ー 見つめる鍋は煮えない ー
こんにちは!
本日は、市街のカフェからお送りしております。
外山滋比古 先生の「思考の整理学」を完読して、少し自分の脳内の整理をしたい気持ちになり、今回筆を取った次第です。今後の自分の方向性を定めるべく、一度思考を言語化し、記録して、"放置"しておこうと思います。(外山先生曰く、この"放置"が重要なんですよね)
1. 見つめる鍋は煮えない
「思考の整理学」で最も核となるメッセージは、やはり何といっても『見つめる鍋は煮えない』でしょう!(個人的な感想ですが笑)
私自身、本格的に学問と向き合い始めてからというもの、この考え方にはかなり共感することが多いです。例えば、
「1日中勉強をするよりも、2日に分けて負荷を軽減させたほうが知識の定着を実感しやすい」
とか、
「長い間思い悩み、堂々巡りを繰り返していたような懸案事項も、ある時、ふとしたことで解決策が思い付く」
なんてことは往々にしてあります。
皆さんも、そのような経験はないでしょうか?
きっと1度や2度はあると思います。これこそが、「知識の意図的な忘却による恩恵」なのです。敢えて自身の考えを無意識領域に放り投げ、時間に解決を委ねるという考えです。私は、この考え方を知れて、幾分か救われたような思いがしました。
「救われた」とは少々大袈裟ですが、私が今日まで抱いていた「意識と時間と忘却」の関係性が大きく覆された瞬間でした。
即ち、「忘却」を食い止めるには「意識」を「長時間」集中させ続けることが必要であるという以前までの考えは、単なる思いこみ(刷り込み、プロバガンダ?笑)に過ぎず、
そもそも「忘却」自体、「学び」とは切っても切り離せない、むしろ重要な過程だ、
というパラダイムシフトが私自身に起こったのです。
このことが正しいとするならば、優秀な人間は1つの分野だけでなく、多分野に跨って学問を修めているという事実に合点がいきます。
ある分野のスペシャリストになるまでに1万時間かかるとするなら、複数の資格を持ったスペシャリストなど到底存在する訳もなく、しかも、習得が同時進行でなければ、以前に身に付けた知識やスキルも忘却により錆び付いてしまうでしょうから、「忘却」を絶対的な悪と決めつけてしまってはなかなか説明が付きません。
外山先生の主張が正しい(若しくは否定できない)と思われる根拠は、以上の点からして十分でしょう。
2. 忘却を味方に
一見、逆説的ではありますが、意図的に知識を忘却へと導くことが学習の過程では重要です。それを無意識に行っているのが『睡眠』です。
寝る前に考え事をしていて、寝て起きてみたら何故か解決した、という経験が皆さんあるのではないでしょうか。「忘却」を知識の定着に利用するよう、遺伝子レベルで組み込まれているのです(睡眠の研究は未開拓な部分が多く、いつか私の研究テーマにしてみたい領域です。)。
睡眠と同じことを、普段の学びに組み込めば、効率よく多くの知識を身に付けられるはずです。つまり、『忘却を味方に』つける訓練をすることです。
「では皆さん、知識の定着の為に、みんなで一緒に忘れましょう!」
...とはなかなかいきません笑
そもそも、忘れることは、覚えることよりも意識的に行うことが難しいです。そもそも、忘れようと「意識」している時点で、知識を無意識の領域に飛ばすことはできません。
では、どうすべきか。それは、「意識を逸らすこと」だと、本書では述べられています。
つまりは、色んな分野・領域に意識を「浮気させろ」という訳です。
(恋愛における浮気は御法度ですが、学習における浮気は大歓迎!、ということですね先生!)
国試直前期も、英語、政治、経済の勉強と、かなり浮気していた私ですが、これからは罪悪感を抱くことなく、堂々と浮気できます。ありがとうございます、外山先生!
3. 近況報告
そろそろ2000字も近くなってきたので、今、興味のある分野を紹介します。
1番はやはり、「経済学」でしょうか。Youtubeで「三橋貴明 先生」や「藤井聡 先生」の動画やラジオをきいて、少しずつ勉強しています。最近は、MMT(現代貨幣理論)に非常に興味があり、勉強しているのですが、この前友人に「MMTの解説するわ!」と啖呵を切ってしまいました(今になって後悔しています)。それと、経済学に付随して「簿記」の勉強も再開しました。どうしても経済の話になるとB/SやP/Lの話題が出てきてしまうので、必要に迫られて勉強しています(続く気はあまりしませんが...)。ひと段落したら、「奇跡の経済教室(中野剛志 著)」も読み始めようかな(遠い目)。
最近、「地政学」の魅力にも気付き始めました。政治を語るには地政学を学ぶ必要があるらしいです。そして、きっかけは忘れたのですが、地政学の前に「サピエンス全史」に触れておいた方が良さそうだと気付き、今日からサピエンス全史を読んでいこうと思っています。(どうもめっちゃむずいらしいので、既に読んだ方がいらっしゃったら教えてください!)。
他にも、英語の学び直しとか、陰謀論(DSとか笑)を調べたりなどしていますが、あまり話題として面白くないので割愛。。
兎にも角にも、意識の浮気先を沢山作ったので、今後めきめきと知識が増えることでしょう!(希望的観測)
次回は、「思考の整理学」で述べられている、学問における「インブリーディング」について私の意見を書こうと思います。(覚えていれば笑)
それではまた👋
115回 医師国家試験を終えて
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medic media模試(2020年12月1日, 2日実施)
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冬MEC模試(2021年1月6日、7日実施)
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自分の勉強法を確立できたこと。
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興味のある分野を増やせたこと。
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他人の意見や評価を鵜呑みにしなくなったこと。
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体験的な学びが少なかったこと。