コッホの4原則

こんにちは。
現場での業務が始まって1週間が経ちました。
早くも様々な現実を突きつけられ、脳みそが軽くパニックを起こしつつある一方、こちらの世界に引き込まれるのではないかという心配も杞憂に終わりそうで、安心している自分もおります。
 
さて、最近読了いたしました、大橋眞先生著PCRは、RNAウイルスの検査に使ってはならない」について、少し私の考えも交えてお話ししようかと思います。
 
  1. PCR検査
 
新型コロナが世間を騒がしている現代社会で、一気に広まった専門用語(テクニカルターム)、「PCR検査」。
著者の大橋先生は、広まったのはコロナではなく、この「PCR検査」だと本書で仰っています。
本書の結論は、PCR検査は変異の多いRNAウイルスの検査には使えない、とのことですが、その理由は一体何なのでしょう。
その問題に切り込んでいく前にまず、「感染症」の定義を再確認する必要があるようです。
 
  1. コッホの4原則
 
ドイツの細菌学者ロベルト・コッホがまとめた、感染症の病原体を特定する際の指針が、以下に示す「コッホの4原則」です。
コッホの原則の原義は、
 
  1. ある一定の病気には一定の微生物が見出されること
  2. その微生物を分離できること
  3. 分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること
  4. そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること
Wikipedia参照)
 
世間を騒がす新型コロナウイルスは、この4原則を何一つ満たしていないのです。つまり、このCOVID-−19の原因ウイルスは空想上の存在かもしれない、ということになりましょう。
ただ一つ確かなことは、「PCR検査陽性者」を、「新型コロナ感染者」としている事実だけなのです。このような由々しき問題を棚に上げ、政治・メディアが一方的に国民の不安を煽る現実に疑問を抱かないのは、大変不自然なことです。
 
 
  1. 仮説のミルフィー
 
科学的に物事を議論する際、重要なことは「仮説を立て、実験を通してそれを立証する姿勢」だと言います。しかし、この新型コロナに関する議論は、未だ「仮説止まり」なのです。しかも、立証されていない仮説を、あたかも事実のように扱い、その上に更なる仮説を重ねていく、という科学者の風上にも置けぬ所業を平気でやってのけているのです。
仮説をミルフィーユのように重ねてくと、一体何が事実で何が仮説なのかが分からなくなります。
取り返しのつかない状況になる前に、今一度原点に回帰する必要がありましょう。
 
 
  1. 数字が物語る違和感
 
PCR検査は、ウイルスのある一部の情報をもとに、その病原体遺伝子を増幅し、ある一定数以上のウイルスに感染しているかどうかをみる検査です。
一部とは、3万塩基のうち40塩基ほどです。
このたった40塩基存在を「新型コロナ」と定義しているのです。
それに、コロナウイルスRNAウイルスであり、遺伝子変異が多いという特徴があります。変異率が一定割合を超えると、プライマーの特異度が下がり、PCR検査の陽性率が減少します。例えるなら、iPhoneの顔認証登録をしたあと、毎日少しずつプチ整形し続けると、ある日を境に顔認証できなくなるのと同じことです。
 
理論上、変異率が5%を超えるとPCR検査は使いものにならなくなると言われています。
コロナウイルスの場合、変異速度は年率15%なので、PCR検査の有効期限はどれだけ多く見積もっても4ヶ月となります。つまり、コロナウイルスが発生したのが2019年末頃でしたから、2020年の4月頃にはとっくに有効期限は切れているのです。
 

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本書挿絵より引用
しかし、2021年4月現在もPCR検査陽性者は増加し続けています。一体何が起こっているのでしょう。前章でも書いた通り、新型コロナウイルスの情報に関しては、仮説が積み重なり過ぎていて、どこが真実でどこが嘘なのか分からなくなっているのです。PCR検査で検出している遺伝子がコロナではないという可能性、そもそも検出しているのが病原体の遺伝子ではない可能性(食べ物や体細胞遺伝子など)、不適切なCt値を設定している可能性。
これらの可能性を一つずつ洗い出し、立証する必要があります。
 
 
  1. 時代の転換点、最終通告
 
世界が多くの嘘で構成されていることを知れば、現状を正しく分析できるようになり、目指すべき未来が、解像度良く見えてくるのではないでしょうか。現代に生きる人間はみな、目の前のことに追い詰められ、世界の動きを俯瞰する余裕がないのです。あらゆる現象に疑問をもち、科学的思考をもって議論する姿勢が、これから最も大切な習慣となるでしょう。私は小さい頃、揚げ足をとることが得意な悪餓鬼でしたが、いまここにきて、その天賦の素質に感謝しています。あらゆるファクトに疑問符を打つ。理由を考える。自分の考えを発信する。その繰り返しなのです。
 
私は将来、大学に籍を置くつもりですが、大学には様々な専門家がいて、お互いの考えをぶつけ合い、ブラッシュアップできる貴重な機会を得ることができます。学問のインターブリーディングを私は何よりも望んでいます。さらに外の世界を知るため、学びは止めることはできません。
 
 
今回も少し堅苦しい内容となってしまいました。次回はもう少しフランクな内容にしたいと思います。
それでは。