語彙力道場003

提喩・シネクドキ

 

修辞技法のひとつ。 換喩の一種で、上位概念を下位概念で、または逆に下位概念を上位概念で言い換えることをいう。

 

コメント:新たな分野を勉強するに際して必要となる技法である。我々人間は、自身の”継続力”を過大評価するあまり、初めて手にする独学書に専門書を選ぶことが少なからずある。理解に難渋し、専門用語を調べながら少しずつ進めようとするも、途中で断念してしまう。これは、努力に対する”見た目”のインセンティブが少なすぎることで起きる現象である。これを克服するためには、「こまめな目標設定」と「程良く訪れる達成感」を環境に組み込むこと(ニッチ構築)が必要であろう。「シネクドキ探索」はそれを十分に可能にする。まずは下位概念を上位概念に変換し、より簡易な文献より始める。これにより、まずはこの文献を理解するという目標設定と、読み終えたことによる達成感を同時に獲得できる。そして次なる目標設定は、一段階下の下位概念でサーチした文献の読了にシフトする。独学はこの過程を繰り返し行うことで容易に継続できる。

語彙力道場002

虚往実帰(きょおうじっき)

師などから無形の感化や徳化を受けるたとえ。行くときは何も分からずに空っぽの心で行って、帰るときには充実して、十分に満足している意から。

 

コメント:「独学」において、その道を知り尽くした「師」は存在しない。川喜田二郎先生は著書「発想法」において、「研究探検」を「内省」→「思いだし」→「間接情報探検」→「直接情報探検」と細分化している。目的なき探検こそ避けるべきである、という教訓のもと、我々科学研究者たちに取るべき態度を明確に提示している。

 

 

新しい酒は新しい革袋に盛れ

新しい思想内容を表現するためには、新しい様式を必要とする。いつまでも古い形式にばかりこだわっていてはならないというたとえ。新約聖書より。

 

コメント:イノベーションには、この思想は不可欠であろう。ただ、ここでいう「新しさ」とは変化や最適化を意味するのであって、完全なるオリジナリティにこだわる必要はない。歴史から学び、復古的創出を行うのも手である。賢者は歴史から学ぶとも言うように、オリジナリティに固執して、本質を見失うことのないようにしたい。

 

カルテ・クセジュ

①取り組もうとしている分野や課題について、何でも思いつく限り順不同で書き出す

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②書き尽くしたら、読み返しながら、まずは知っていることを四角で囲む

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③四角で囲んだものの中から気になる/大事そうなものを選んで調べる。調べたものはさらに四角で囲む(四角い二重囲みになる)

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④いくつか調べた後で、再び全体を読み返しながら、項目同士で関係がありそうなものを線で結んでいく

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⑤調査と結びつけ(③、④の作業)を繰り返し、項目を結びつけたカルテの変化と成長が落ち着いたら、今度はもっと知りたいと思うものを、いくつか○で囲んでいく

⑥カルテを見返しながら、○をつけた項目の中から、最も知りたいものを一つ選びもう一重、○で囲む(◎の囲みになる)。これがあなたの学習/研究のテーマに、少なくともそのコアになる

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⑦カルテ・クセジュを学習/研究が進む度に改訂していく

 

引用:読書猿. 独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2433-2434). Kindle 版. 







語彙力道場 001

合成の誤謬

(ごうせいのごびゅう、英: fallacy of composition)

ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。

 

コメント: 済界だけではなく、現代社会ではどこにでも起こりうることだと私は思います。社会全体の秩序を保つために個人の自由に制約を課す、まさにコロナ社会はこの"合成の誤謬"を逆手に取った政策とも言えるかもしれません。日本人は"共生・共存"の民族。近代化によって"個(孤)"を強制されてきた我々は、いま一度、生き方の「本質」を問いただす必要があるのでしょう。

 

 

生老病死(しょうろうびょうし)

人間として避けられない四つの苦しみ。生まれること、老いること、病気になること、死ぬことの総称。仏教語。

 

コメント: 々は平和で安寧な人生を送るために、できる限り苦難を回避しようとする。最近流行りの「危機回避」は、サービス産業において最強の売り文句となっています。しかし、予測できる危機などあるのでしょうか。そもそも予測・回避できないことを「危機」と呼ぶのではないですか?生きている限り、必ず危機は訪れ、我々を苦しめます。これは避けられないことであり、仕方がないことです。それらを乗り越える方法はただ一つ、「覚悟を決める」ことです。生きている限り「苦難」を必ず経験する、という覚悟です。せめて「生老病死」の4つの苦だけでも、生物としてこの世に存在する以上、覚悟を決めておきたいものです。

 

生老病死とは|お釈迦様が説く意味・仏教の四苦八苦の教えについて | 神仏.ネット

 

事実を見つめる

COVID-19 統計データ厚労省HPより

【COVID-19による死者数(2021/8/30時点)】
60歳未満死者数 683人

60歳以上死者数 15998人
死亡者数比 1/23.4


【ワクチンによる死者数(2021/8/8時点)】
65歳未満 82人
65歳以上 1106人
死亡者数比 1/13.4


1/13.4 ÷ 1/23.2 = 1.73 

即ち、ワクチンの方が若年者は高齢者よりも1.73倍死にやすい、といえる(厳密には年齢のcut-offが異なるので間違い)。

 


【1日当たりの死者数[人/日]】
COVID-19 60歳未満 683/(19*30)= 1.2
      60歳以上15998/(19*30)= 28
ワクチン  65歳未満 82/(3*30)= 0.91
      65歳以上 1106/(3*30)= 12.2


ポイント
①上記のCOVID-19による死者数は真の値より多い可能性がある。(PCR検査の特異度の問題、死因が肺炎以外の場合等)
②上記のワクチンによる死者数は真の値より少ない可能性がある。(因果関係が証明できない死亡例、遅発性に起こる副反応による死亡例等)

 

厚生労働省HP: https://www.mhlw.go.jp/stf/covid-19/kokunainohasseijoukyou.html

コッホの4原則

こんにちは。
現場での業務が始まって1週間が経ちました。
早くも様々な現実を突きつけられ、脳みそが軽くパニックを起こしつつある一方、こちらの世界に引き込まれるのではないかという心配も杞憂に終わりそうで、安心している自分もおります。
 
さて、最近読了いたしました、大橋眞先生著PCRは、RNAウイルスの検査に使ってはならない」について、少し私の考えも交えてお話ししようかと思います。
 
  1. PCR検査
 
新型コロナが世間を騒がしている現代社会で、一気に広まった専門用語(テクニカルターム)、「PCR検査」。
著者の大橋先生は、広まったのはコロナではなく、この「PCR検査」だと本書で仰っています。
本書の結論は、PCR検査は変異の多いRNAウイルスの検査には使えない、とのことですが、その理由は一体何なのでしょう。
その問題に切り込んでいく前にまず、「感染症」の定義を再確認する必要があるようです。
 
  1. コッホの4原則
 
ドイツの細菌学者ロベルト・コッホがまとめた、感染症の病原体を特定する際の指針が、以下に示す「コッホの4原則」です。
コッホの原則の原義は、
 
  1. ある一定の病気には一定の微生物が見出されること
  2. その微生物を分離できること
  3. 分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること
  4. そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること
Wikipedia参照)
 
世間を騒がす新型コロナウイルスは、この4原則を何一つ満たしていないのです。つまり、このCOVID-−19の原因ウイルスは空想上の存在かもしれない、ということになりましょう。
ただ一つ確かなことは、「PCR検査陽性者」を、「新型コロナ感染者」としている事実だけなのです。このような由々しき問題を棚に上げ、政治・メディアが一方的に国民の不安を煽る現実に疑問を抱かないのは、大変不自然なことです。
 
 
  1. 仮説のミルフィー
 
科学的に物事を議論する際、重要なことは「仮説を立て、実験を通してそれを立証する姿勢」だと言います。しかし、この新型コロナに関する議論は、未だ「仮説止まり」なのです。しかも、立証されていない仮説を、あたかも事実のように扱い、その上に更なる仮説を重ねていく、という科学者の風上にも置けぬ所業を平気でやってのけているのです。
仮説をミルフィーユのように重ねてくと、一体何が事実で何が仮説なのかが分からなくなります。
取り返しのつかない状況になる前に、今一度原点に回帰する必要がありましょう。
 
 
  1. 数字が物語る違和感
 
PCR検査は、ウイルスのある一部の情報をもとに、その病原体遺伝子を増幅し、ある一定数以上のウイルスに感染しているかどうかをみる検査です。
一部とは、3万塩基のうち40塩基ほどです。
このたった40塩基存在を「新型コロナ」と定義しているのです。
それに、コロナウイルスRNAウイルスであり、遺伝子変異が多いという特徴があります。変異率が一定割合を超えると、プライマーの特異度が下がり、PCR検査の陽性率が減少します。例えるなら、iPhoneの顔認証登録をしたあと、毎日少しずつプチ整形し続けると、ある日を境に顔認証できなくなるのと同じことです。
 
理論上、変異率が5%を超えるとPCR検査は使いものにならなくなると言われています。
コロナウイルスの場合、変異速度は年率15%なので、PCR検査の有効期限はどれだけ多く見積もっても4ヶ月となります。つまり、コロナウイルスが発生したのが2019年末頃でしたから、2020年の4月頃にはとっくに有効期限は切れているのです。
 

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本書挿絵より引用
しかし、2021年4月現在もPCR検査陽性者は増加し続けています。一体何が起こっているのでしょう。前章でも書いた通り、新型コロナウイルスの情報に関しては、仮説が積み重なり過ぎていて、どこが真実でどこが嘘なのか分からなくなっているのです。PCR検査で検出している遺伝子がコロナではないという可能性、そもそも検出しているのが病原体の遺伝子ではない可能性(食べ物や体細胞遺伝子など)、不適切なCt値を設定している可能性。
これらの可能性を一つずつ洗い出し、立証する必要があります。
 
 
  1. 時代の転換点、最終通告
 
世界が多くの嘘で構成されていることを知れば、現状を正しく分析できるようになり、目指すべき未来が、解像度良く見えてくるのではないでしょうか。現代に生きる人間はみな、目の前のことに追い詰められ、世界の動きを俯瞰する余裕がないのです。あらゆる現象に疑問をもち、科学的思考をもって議論する姿勢が、これから最も大切な習慣となるでしょう。私は小さい頃、揚げ足をとることが得意な悪餓鬼でしたが、いまここにきて、その天賦の素質に感謝しています。あらゆるファクトに疑問符を打つ。理由を考える。自分の考えを発信する。その繰り返しなのです。
 
私は将来、大学に籍を置くつもりですが、大学には様々な専門家がいて、お互いの考えをぶつけ合い、ブラッシュアップできる貴重な機会を得ることができます。学問のインターブリーディングを私は何よりも望んでいます。さらに外の世界を知るため、学びは止めることはできません。
 
 
今回も少し堅苦しい内容となってしまいました。次回はもう少しフランクな内容にしたいと思います。
それでは。
 
 
 

祝祭/土地とのつながり

以前、祝祭とは一体何なのだろうかと考えたことがあった。
その当時出した結論は、
 
「祝祭とは、非日常な空間・時間を集団で創出し、それを皆で享受すること。己が1人だけで作り出す特別性は、祝祭ではなく単なる『気晴らし』であり、一線を画す。」
 
としておいた。
 
そこで、また一つ疑問が生まれた。
 
「祝祭によって、人と土地を結びつける意義は何だろうか。そもそも、人が土地と結びつくこと自体に意味はあるのか。」
 
一向に答えが得られないので、この疑問は保留にしておいたが、最近、ふと気付いたことがある。
 
それは、その土地には固有の「におい」がある、という事実である。
外に出てマスクを外すと、その土地に関係するあらゆる記憶が、次々に蘇る。
 
呼び起されたその記憶が、さらにその土地への愛着を強固にする。いくら社会が変化しようと、その土地固有の「におい」は中々変わるものではないから、その土地の記憶(=愛)は途絶えない。
 
少し陰謀論チックになるが、国民にマスクを強要するのは、国民とその土地との結びつきを弱め、都市への一極集中化を進める狙いがあるのではないかと思われてならない。