祝祭/土地とのつながり

以前、祝祭とは一体何なのだろうかと考えたことがあった。
その当時出した結論は、
 
「祝祭とは、非日常な空間・時間を集団で創出し、それを皆で享受すること。己が1人だけで作り出す特別性は、祝祭ではなく単なる『気晴らし』であり、一線を画す。」
 
としておいた。
 
そこで、また一つ疑問が生まれた。
 
「祝祭によって、人と土地を結びつける意義は何だろうか。そもそも、人が土地と結びつくこと自体に意味はあるのか。」
 
一向に答えが得られないので、この疑問は保留にしておいたが、最近、ふと気付いたことがある。
 
それは、その土地には固有の「におい」がある、という事実である。
外に出てマスクを外すと、その土地に関係するあらゆる記憶が、次々に蘇る。
 
呼び起されたその記憶が、さらにその土地への愛着を強固にする。いくら社会が変化しようと、その土地固有の「におい」は中々変わるものではないから、その土地の記憶(=愛)は途絶えない。
 
少し陰謀論チックになるが、国民にマスクを強要するのは、国民とその土地との結びつきを弱め、都市への一極集中化を進める狙いがあるのではないかと思われてならない。